こんにちは。2021年4月に入社しました、メディアプロデューサーの田中嵐です。
入社式の日に、「あらら」という名を授かりました。絶妙なトホホ感がお気に入りです。
好きなものは、バレーボール、一人旅、ハロプロ、銭湯での交互浴、ウクレレ、高円寺の夕焼けです。
ざっくりとした経歴はこちら。
福岡の高校を卒業→神戸大学発達科学部で小学校の教員免許を取得→旅行系の会社に就職→半年で退職し、地元でフリーター→東京学芸大学の大学院へ
今回は、そんな僕が巡り巡ってエバーセンスに入社するまでのお話をお届けします。
就活中でエバセンのことが気になっている...!という方は、ぜひのぞいてみてください。
大学院に入るまで
学部時の就職活動は、「周りが就活始めたから自分も始めなきゃ」「みんなが知ってる福利厚生の整った会社に行かなきゃ」と、かなり後ろ向きなものでした。
自己分析をしてみたものの、就活の軸は定まらず、なんとなく心惹かれた大企業を受ける日々。
しかし、信念のない学生の言葉は面接官に響くはずもなく、怒涛のお祈りラッシュにメンタルを打ち砕かれていました。
周りが続々と内定をもらう中、自分は夏が過ぎても内定は0。秋になり、かろうじて内定をいただいた会社に即刻入社を決め、早々に遊び始めたのでした。
そんな経緯で働き始めたので、仕事に対しても前向きな気持ちになれず、「やりたくないことをやらされている」という感覚が拭えませんでした。
かといって、自分が本当にやりたいこともわからない。
もやもやとした毎日を過ごしながら、学部時代の教育実習やアルバイト先の学童で、一緒に遊びまくった子供たちのことを思い出していました。
やりたいことが見つからないと嘆く自分。
やりたいこと・心躍ることに夢中になる中で育っていく子供たち。
ひょっとして、本当に僕が関わりたい領域は、子供の育ちに関わる分野だったのかもしれない。 そして、子供の「遊び」という行為を紐解くことが、僕の人生に繋がっていくのではないか。
そう思い、遊びについて追究しようと決心しました。
もう一度学問の道に戻るため、会社を辞め、「遊び社会学」の研究室の門を叩きました。
遊びとは何かを知った、プレーパークでの活動
大学院入学後、「プレーパーク」という地域の遊び場に出会いました。
「自分の責任で自由に遊ぶ」がモットーのプレーパークには、「木に登ってはいけない」「ボール遊びをしてはいけない」など、大人が決めたルールはありません。
そこに存在するのは、土や水、火などの自然素材と、スコップやバケツなどの最低限の道具、子供たちの見守る遊びの専門職「プレーリーダー」、そして、「いいこと思いついた!」を否定しない文化です。
僕は、プレーパークで目を輝かせながらのびのびと遊ぶ子供たちや、それを見守る大人たちに大感動し、出会った初日にプレーパークの研究をすることを決めました。
研究の傍ら、「プレーリーダー」の仕事も経験しました。
子供たちと一緒に全身泥んこになったり、ウクレレ弾いて歌ったり、落ち葉の山にダイブしたり、焚き火を眺めながら小学生の愚痴を聞いたり。
「親でも先生でもない、ちょっと年上の遊び仲間」の存在は、子供たちにとっても面白いみたいでした。
子供たちが遊びの中で「いいこと思いついた!」とひらめく瞬間。
誰かの思いついた「いいこと」が、周りの人を巻き込んで形になっていく過程。
プレーパークで起こるあらゆる出来事が、たまらなく好きでした。
そして2年間の研究と活動を通し、子供たちは遊ぶことで「面白く生きる力」を育んでいるんだ、と確信することができました。
(この話は無限にできるので、誰か語りましょう)
当たり前の違いを突きつけられた、スウェーデン留学
子供の遊びを研究している中で、プレーパークという概念は北欧発祥だということを知り、「日本よりもっと自由な、北欧の遊びや教育について学びたい」と思うようになりました。
また、大学院で二度目の就活を迎える前に、「ゆったりとした時間の中で、もう一度きちんと自分と向き合いたい」とも感じていました。
そんなこんなで、スウェーデンに留学に行くことに決めたのです。
スウェーデンでは、
「人種・性別・宗教・障がい・移民・性的指向など、あらゆる背景にかかわらず、全ての人間には等しく同じ価値がある」
「国をつくるのは、一人ひとりの国民である」
という教育方針があり、これらは保育園から子供たちに教えられます。
その精神が、政治や文化、人々の生活に反映されていました。
例えば、街の公園にいろんな種類のブランコがあることを不思議に思い、ホストマザーに聞いてみると、
「障がいのある子たちだってブランコに乗りたいのよ、それが当然でしょ?」と彼女は言いました。
街では同性カップルが手を繋いで歩く姿をたくさん見かけ、日本にはない光景だと友人に話すと、
「僕らは誰にだってありたい自分である権利があるし、それを保障するのが社会だよ」と彼は言いました。
日本で生まれ育った僕にとっては、今までの当たり前が覆されることばかり。
いかに自分が小さな枠の中で、たった一色のメガネで物事を見ていたかを思い知らされ、苦しみました。
しかし同時に、この国も初めから多くの人が生きやすい社会だったわけではなく、人々が声を上げ、自分たちの手で変えてきたことにも気づきました。
スウェーデンでの生活は、日本で生きる上で無意識に諦めていた様々なことを、「諦めなくてもいいんだ」と思える勇気を僕に与えてくれました。
(暗い感じになりましたが、スウェーデン生活ははちゃめちゃに楽しかったです)
人生の仲間探しをしていたら、エバセンに出会った
そんな国に住んでみて、「僕はこの先どう生きていきたいか」について考えるのは、必然だったように思います。
留学先で就活を始め、自分一人で考えたことを、なんとなくビジョンやミッションがいいなぁと思った企業の方にぶつけ、また考える。
そんなことをしている中、出会ったのがエバーセンスでした。
エバセンと出会った当初は、僕の軸がまだはっきりしておらず、人事の前澤さんとお話したとき、ぼんやりした話をこれでもかと突っ込まれ、おどおどしていた記憶があります。笑
しかし、いろんな会社と面接を重ねていくうちに、プレーパークでの活動やスウェーデンで考えたことが繋がっていき、
- 未来の子供たちが今よりもっと生きやすい社会にしたい
- どんな家族のカタチでも、幸せに生きられる社会にしたい
- 自分自身が、人生を面白がって生きていきたい
という思いが明確になりました。
一度目の就活では、「自分にとって”働く”とは何か」についてきちんと向き合うことができませんでしたが、
大学院での活動を経て、「自分はどう生きたいか」「どんな仲間とどんな社会に向かっていきたいか」が、そのまま「どう働きたいか」に繋がるのだと気づきました。
軸が定まってから、改めてエバセンの方々と話す機会をいただくと、
- 自分の目指したい社会や夢の話を、みんな真剣に聞いてくれるぞ
- 何やら会社が目指す世界観が自分と重なっていていそうだぞ
- 働いている人たちがプロダクトへのこだわりや仕事への思いを語るとき、熱がこもっていてなんだか素敵だぞ
- 関わっている人(ユーザーやクライアント)たちに嘘をつかず、社員も含めてみんなが幸せになる道を選ぶ会社っぽいぞ
と素直に感じました。面談で会ったみなさんと話すのが楽しすぎて、秒速で時間が過ぎていったのを覚えています。
何より、代表の牧野さんの優しさと思いのこもった言葉が胸にすーっと染み渡り、この人が目指す世界を見てみたい、ついていきたいと強く感じました。
二回目の面談以降はするすると選考が進み、あっという間にエバセンで働くことが決まっていました。
当時のカレンダーを見返してみると、5月末の面談から、二次面談まで3ヶ月半の間が空いていました(笑)
前澤さんが、僕の意志が固まるまで待っていてくださったんだと思います。たぶん。
今日もご機嫌に、面白く生きるのだ
エバセンに入社してからというもの、自分次第でたくさんチャレンジできる職場で日々厳しくもあたたかく支えてもらいながら、カルピスの原液くらい濃い日々を送っています。
たった数ヶ月間ですが、涙が出るくらい嬉しかったことも、眠れないくらい悔しかったこともこともありました。
できない自分を知って、少しずつ成長している実感があって、いい仲間といい仕事ができて。
人生面白がってんなぁ自分!と感じられることって、本当に幸せだなぁと毎日噛み締めながら家路に着いています。
やりたいことがわからないと立ち止まったことも、プレーパークの子供たちに面白く生きる大切さを教わったことも、スウェーデンで当たり前の違いに絶望したことも、全部今に繋がっていて。
「ここで働くことそのものが、僕の望む生き方かもしれない」と感じた去年の自分に、その直感は正しいぞ!と言ってやりたいです。
就活を頑張っているみなさんへ、今の僕が何かを伝えるとしたら。
就活は、自分がどんな社会で生きたいか、働くことを通してどんな人生にしたいか、そのためにはどんな仲間を探すべきか、とことん向き合う絶好の機会です。
回り道もしたけれど、あのときしっかり向き合えたからこそ、僕は日々ご機嫌に生きることができています。
自分と向き合うにはエネルギーが必要ですが、エバセンには、軸が固まり切っていなかった僕みたいな学生でも優しく受け止めてくれる、素敵な人事の前澤さんやメンバーがいます。
エバセンのホームページやブログを見て、「こんな生き方がしたいかも」と少しでも思った方は、ぜひその直感を信じ、確かめに来てくださいね!