新卒で入社しました、
有地妙恵子(ありちたえこ)です。
会社では「ありえる」と呼ばれています。大変おこがましいのですが、気に入っております。
「ありえる」と呼ばれ、「はい」と普通に返事している、という話を友達に自慢すると、大バッシングを食います(笑)
学生時代には、周りからアンパンマン、まんじゅう、みたらし団子(夏季限定)、白玉(冬季限定)など様々な丸いもので呼ばれていたので、東京に来て、ものすごい進化を遂げました。
簡単に自己紹介をすると、
私は、父、母、姉、妹、弟の6人家族の次女です。
高校までは、家族と一緒に神奈川県に住み、大学は京都府で一人暮らしをしていました。
大学ではスポーツ社会学を専攻。
小学校からずっとサッカーをしていて、大学4年間も体育会女子サッカー部に所属し、サッカー中心の日々を送っていました。最後には主将を務めさせていただき、リーグ優勝というかつてない最高な経験をさせてもらいました。
▲二部リーグ優勝、18大会ぶりの一部昇格を決めた試合で、全員で喜び泣き合っているところ
今回は、そんな私がなぜエバーセンスに入りたいと思ったのか、お話ししたいと思います。
そこには大きく2つの理由がありました。
私の感情が大きく動いた、あるニュース
私は、私の家族が大好きです。
何か悩んだ時、辛かった時、嬉しいことがあった時、真っ先に家族に話します。今でもすぐに電話しちゃいます。
小さな喧嘩は日常茶飯事ですが、兄弟でふざけ合って家族みんなでゲラゲラ笑い合う時間がものすごく楽しくて大好きです。
家族のことを話せばキリがないですが、間違いなく私にとって家族は心の拠り所となっています。
▲お母さんが撮ってくれた、家族旅行の写真(兄弟4人とお父さんとの間に距離あるver)
大学生のとき京都で1人暮らしをしていて、少しホームシックにもなっていた最中、
あるニュースを見ました。
それは、両親の虐待により、娘である1人の女の子が亡くなってしまったというニュースです。
この女の子は、学校の先生や児相など、周囲にいる複数の大人にSOSを出していました。
でも救われることはありませんでした。
このニュースを見て、虐待をしてしまった親ではなく、周りの大人たちのずさんな対応にものすごく憤りを感じ、
同時に、何もできない自分自身への情けなさと、「自分に何かできたら」というもどかしさを強く感じました。
そして、このニュースを機に、子育ては親だけが行うものではなく、周りの人、社会で行うものだと実感し、私も子育てをはじめとした、多くの家族の支援に携わりたいという気持ちが芽生えました。
昔から子供が好きだったこともあり、
「子供たちの笑顔を守れる仕事をしたい」
→“子供の成長には必ず誰かしら大人のサポートが必要なんだから、子育てをする親へのアプローチをして支えられたらな”
→ “誰もが生まれ持つ家庭の幸せの実現が、一番多くの子供を幸せにできる手段だ”
と考え、家族支援をしたいと思うようになりました。
やみくもに就活がスタート
とは言うものの、
いざ就活が始まると、部活の同期や学校の友達などに流され、
自分の「家族支援をしたい」という気持ちを心の奥にしまって、
とりあえず大手企業の説明会に参加したり、食べるのが好きだからと言う単純な理由で食品メーカーの説明会に参加したり…
いろんな企業の説明を聞きに足を運びましたが、惹かれるような会社は一つもありませんでした。
どの説明会にも必ず手元に用意していたメモとペンも、途中からはペンを走らせるのをやめ、カバンの中へ。
そんな就活をタラタラと続け、
あるとき、ふと我に返りました。
自分は何がしたいんや?
自分は家族支援がしたいんちゃうんか??
なに周りに流されとんねん!!!!!
このとき、ポロポロ泣きながらお母さんと長時間電話したのも覚えています。
事後ではなく未然に。1人ではなく多くの人を。
そこから、母校の小学校の支援学級の先生や、Twitterで見つけた家族支援に関する本を出版されている方、児童養護施設で働いている方に直接お会いして話を聞きました。
私は児童福祉や教育について学んでいたわけではないので、
そこから、日本の教育や福祉の現状も調べ始めました。
企業説明会のときとは大きく違って、ペンは止まることなく、ノートも何ページにも渡ってぎっしり。
この時は、もっと勉強したいと思い、大学院への進学や、社会福祉士や臨床心理士などの資格の取得も考えました。
ただ、いろいろ調べていく中で、福祉の限界を感じました。
それは、福祉サービスを受けるべき人にとって、そのサービスを受けに行くこと、周りに助けを求めることのハードルの高さです。
虐待を受けてしまった子のケアや危機介入は大切な仕事だけど、私がしたいこととは違う。私は事後ではなく、未然に防ぐ何かをしたい。
1人ではなく、できるだけ多くの子を、そういった危険な事態から守りたい。
そう考え、行き着いた結論が、
子育てをする多くのママやパパと繋がれる仕事でした。
そして、ハードル低く繋がれる手段として思いついたのがアプリでした。
エバセンとの出会い
wantedlyで、「家族 アプリ」というワードで検索をかけたと思います。
そこで見つけた「家族を幸せにすることで、笑顔溢れる社会をつくる」という言葉に胸を打たれ、すがるような思いでエントリー。
大学3年生の3月頭に、初めてエバセンと出会いました。
そして、人事の前澤さんの話を聴き、私の考えも話しながら、ここだっ!とビビッと来たのを覚えています。
運命の人と出会うときに鐘が鳴る、まさにそれを体感したような出来事でした。
初めて行きたいと思える会社に出会えて、
面談後、会社を出てすぐの道を7mくらいスキップしたのを覚えています。
この歳になって、スキップしたくなることがあるなんて…!!
歩き方も、いつもより少し多めに上下に弾んでいたと思います(笑)
そこから私の中の就活スイッチON。
とはいえ、何か特別な準備をしたわけでもなく、
他の企業とは異なり、時間をかけて私の話を親身になって耳を傾けてくださる会社だったので、
自分の考えを整理してそのまま全てを伝えることができれば、きっと、きっと、届くものがあるはず!!と、謎の自信が湧いていました。
当時はただただ自分の考えに対して「なぜ?」を繰り返し問い続けていましたね。
エバセンしかない!そう思った、もう一つの理由
そして、私がエバセンを選んだもう一つの大きな理由があります。
私は、小学校の頃からずっとサッカー中心の生活をしてきました。
大学は、体育会女子サッカー部のある大学に進学。最後には主将を務めさせていただき、話し出したらキリがないほど、ものすごく充実した12年間でした。
これまでの人生半分以上をサッカーに捧げてきたわけですが、
今になって考えると、私はそこまでサッカーというスポーツが好きなわけではないよな、と。
でも、なぜこんなにサッカーに夢中になれたのだろう…と考えたとき、
「このチームで勝ちたい」「このチームに貢献したい」「このチームメイトと喜び合いたい」と、常に私の原動力には大好きなチームがありました。
私自身の力を発揮するために一番欠かせない条件が、「いい仲間」でした。
逆に、チームメイトを理由に好きなスポーツを頑張りたくないと思った経験もあります。
そのため、私は仕事をしていく上で、
一緒に働くメンバーや組織の風土は、目を瞑れないポイントでした。
飲み会で友達と上司の愚痴を言い合うような社会人には
絶対になりたくありませんでした。
全ての面談で、エバセンの皆さんが私のことをどんな人間か知ろうとしてくれていたように、
私も毎回の面談で、エバセンの皆さんはどんな人なのか、知ろうとしていました。
そして、前澤さん、さかっちさん、なぎさん、たえこさん、牧野さんと面談をし、
エバセンの人や皆さんの話に触れるたびに、「あー好きだ」「もーここだ」という気持ちが強まるばかりでした。
入社してみて
採用前の面談で、嘘偽りなくそのままの自分を全て曝け出せた会社への入社だったので、
入社前からとても安心感がありました。
▲入社時に、入り口に書かれていた温かいメッセージ
そして、入社した今も、素敵な皆さんに心動かされるばかり。学ぶことばかり。
本当に尊敬できるようないい人しかいません。
エバセンの皆さんから、温かさや優しさの中に、ものすごい熱情を感じるんです。
皆さんそれぞれ異なるきっかけや背景を抱きながらも、
全員が真正面から仕事と向き合い、実際には目の前にはいないユーザーととことん向き合い、
仕事やサービスの全てが、社員の皆さんの心から動いていて…
そこになんの障害もなく、皆さんの想いが真っ直ぐサービスに反映されていて…
そして私の仕事に対する想いも、そのまま重ね合わせることができる
そんな会社です。
入社してから今日まで、
毎日、私の仕事に対するモチベーションは上がる一方です。
「早く貢献したい」「もっと戦力になりたい」「ユーザーのことをもっと知りたい」と
つい気持ちばかりが先走り、能力はまだまだ追いついてないですが、
この恵まれた環境に甘んじることなく、
今は、何も知らないことを武器に、たくさん吸収して、
誰よりもユーザーに寄り添えるような編集者になりたいと思います。
「家族」を大切にするエバセンファミリー。新しいメンバー待っています!