はじめまして。9月にエバーセンスにジョインしました、金子渚です。
出社初日に拝命するニックネームは「かねP」でしたが、あまり浸透していません…
私自身も新姓でのあだ名が初めてで慣れていないのもあるので、
自分からもガンガン発信していこうと思っています!
その第一弾がこのブログですw
初めて自分のキャリアと向き合った大学時代
もともとただ単純に「子どもが好き!」という気持ちがあり、
大学時代はキッズサマーキャンプのボランティアに行ったり、
法学部在学にも関わらず一般的な法律の勉強はほぼせずに、子どもたちの今や未来を考えたり議論したり実地体験ばかりしていました。(一応専攻は「子どもの権利条約」でした)
特に、特別支援学級/学校に通う子どもたちをテーマに卒論を書いていたこともあり、
そこに通う親子と触れ合うことが多く、「どんな子どもたちも明るい未来・希望を持てる世界を作れたらいいな」と何となく思っていました。
そして、大学在学中にもう一つ大きな出来事が。
子宮系の疾患がわかり、自分では子どもが産めない可能性が高いと宣告。
ハタチそこそこで、結婚すらまだまだな自分がもう不妊を突きつけられるとは…。
目の前真っ暗になったし、自分のこれからの生き方を考えるきっかけになりました。
営業としてのキャリアを積んだ20代
子どもに恵まれないなら「仕事に生きる!」と決意したわけではないですが、
新卒で入社した会社で営業の魅力にハマり、
営業といえば!という会社に転職し、ますます営業という仕事にのめり込んでいました。
それこそ、終電で帰ることも徹夜することもざら。
クライアントに呼ばれて、自分が手術したその日の夜に客先に出向いて5時間の商談…なんてこともありました。
それでも、自分がどんどん成長できている感じが楽しかったし、心からやりがいを感じていました。
だけど、たまーに「本当にやりたいことだっけ?」みたいな気持ちになることがあり…
そういう気持ちが拭いきれず
通信で大学に通い、保育士資格・幼稚園教諭免許を取得。
有休フル活用して行った実習では現場の闇(笑)に向き合いつつも、
「やっぱり自分は子どもが好き!未来ある子どもたちにつながる仕事をしたい!」と思いを強くしました。
↑実習の最終日に子どもたちにあげるために手作りしたやつ…。実習期間は本当に徹夜の毎日でした…
人生のターニングポイント
そんな時に、妊娠発覚…!
自分で子どもが産めるとは思っていなかったので、本当に嬉しかったものの、
奇跡の妊娠にビビりすぎて、激しいマタニティブルーに陥りました。
輪をかけて切迫流産→切迫早産になり、仕事も休職して寝たきり生活…
安定期なんて全くない、不安だらけの妊娠期を経て
少し早く小さく生まれた娘は、黄疸が出ていて早速隔離…
なんとか退院できても、初めての育児で不安なことばかりで毎日号泣…
産後うつにもなって、自治体の新生児訪問は3回もされました。
こんなボロボロの私を支えてくれていたもののひとつが「ninaru」でした。
今でもninaruで出産を登録すると出てくる画像はお守りとして持っています。
あの時の感動をすぐに思い出させてくれるし、
妊娠〜新生児育児が今までの人生で一番苦労したことだと思っているので、
それを乗り越えた自分という、自尊心を保たせてくれますw
悩みの尽きないワーママ生活
その後、周りのサポートやアドバイスもあり娘の生後7ヶ月から復職しましたが、
今までほど仕事にのめり込めない自分がいました。
何でだろう?と考えた時に、色々な理由はありましたが
1番は、仕事をただこなしているという違和感があり、
それ故に、娘を犠牲にしているという罪悪感のようなものが芽生えていたこと。
終いには、これから先のキャリアアップには全国転勤が必要だ。
これが自分のしたいことなのか?と考えた時に、違う道へいく選択をしました。
その後縁あった会社に転職するも、
高い目標を実現するためには、やはり昼夜問わず仕事をする毎日。
頭の中のほとんどを仕事が占めて、家族のことを考える余裕もなし。
娘は毎日お迎えが最後のひとり(何ならお迎え時間に間に合ってない)
娘と一緒にいても携帯やPCを手放せない様子を見られて
「〇〇(娘の名前)とおしごとどっちがだいじなの!」
「おしごときらい!やめてー!」と詰められる日々…
娘にこんなこと言わせてまで仕事したいの?と自問自答をするようになっていました。
そんな私に追い討ちをかけたのが、会社の移転でした。
通勤で往復3時間を超える時間をかけるようになり…
ますます娘との時間を圧迫する生活となったことで、これではだめだ!と
次も決めずに会社を辞める決断をしました。
エバセンとの出会い
正直、育休復帰後自分や家族の未来について考える余裕もなくただただ働いてきたので、
少し休んでもいいかな…と思ってはいたのですが、
だからこそ、今までの自分を棚卸ししてみました。
わかったことは、
「子どもに関する仕事をしたい」という学生時代からの変わらない気持ちがずっと自分の中にくすぶっていたこと。
奇跡の妊娠・出産は私の価値観を変える大きなターニングポイントであったこと。
そして、娘に胸を張って仕事を楽しんでいる姿を見せて、その姿を見て娘に「大人っていいな。働くのっていいな」と思ってもらいたいということ。
そういう自分が見えた時に
Googleに「ninaru」と打ち込んでました!
あの時、妊娠・出産時の支えだったninaruが浮かんだ自分グッジョブだなーと思ってます!
そして、辿り着いたエバセンのHPを見て、
「ここに行きたい…!」と即座に応募ボタンを押していました。
エバセンに決めた理由
私にとってのエバセンの決め手は…ありすぎるんですが、
特出するのは下記4つ。
ビジョン
「家族を幸せにする」と本気で言える会社はなかなかない。
でも、私が今一番求めているのはこれだ!と思えたこと。
これを仕事にできるなんて幸せすぎると思っています。
事業内容
私にとって「子どもに関する仕事」と言うのが大きなキーワードであった中で
自分がユーザーとして絶対的な信頼がある事業をしているというのも非常に大きかったです。
仕事のスタンス
「とことんいいプロダクトを作る」
「クライアントがいいと思ってもユーザーやエバセンにメリットがない(少ない)ならやらない」
こういった考え方は、目から鱗でした。
正直今までの自分の環境は、お金をもらえるクライアントを最優先させたり、個人的には理不尽だなと思ったりすることもありました。
でも、エバセンでは明確に「幸せの最大公約数をとる」というスタンスが染み付いていて、その上でものづくりを徹底されている。
この真っ直ぐな仕事の姿勢はとてもいいなと思えました。
人
皆書いていることなんですが…本当にいい人たちばかりです。
このコロナ禍にもかかわらず、直接会って話をさせてくれる時間を作ってくださったのもエバセンだけでした。
そして、お会いした皆さんが本当にこの会社・プロダクトを愛しているのが伝わってくる!
ひとりお会いするごとに、ここで働きたい!という思いが増していました!
エバセンに入って
入社してまだ2ヶ月ちょっとなので、まだまだ初体験ばかりではありますが…
決め手だったことに何のズレもなく、本当に毎日楽しくも刺激的な日々を過ごさせてもらっています。
そのなかでもエバセンらしいなーと思ったことが。
私は、今まで結果的にではありますが上場企業で営業をしてきました。
なので、とにかく売上目標を達成し、よりトップラインをあげていくこと。
極端に言えば、量勝負。
こういった環境下にいました。
だけど、エバセンはそこじゃない。
いいものを届けながら利益をあげて効率をあげていく。
言うなれば、質勝負の営業です。
そうすることで、人という限られたリソースの中で
いい状態でまた新しいチャレンジをすることができる。
本当に良いものを作ることができる。
今まで狩人のように営業してきた私はまだこの感覚が新鮮なのですが
こういった幸せの最大公約数をとれるお仕事をどんどん作って行けたらなと思います!
そして、拗らせ女子になっていた娘とも物理的な時間や心の余裕から生まれるコミュニケーションが増えていて
幸先いい感じです。
↑娘と甥っ子姪っ子。3人兄妹のように育てているので、子どもたちともっと一緒の時間増やしたい!
家族を幸せにすることを公私ともに実現して、自分の実現したい世界を少しでも作れるように
邁進していきたいと思います!
エバセンでの働き方や仕事の仕方・考え方に興味を持った方は、ぜひ話を聞きに来てくださいね!