エンジニア→ITコンサルタントと進んできた自分が、エバーセンスでエンジニアに切り返した理由

2019.08.16

板垣 智也
エンジニア

はじめまして。2019年7月にジョインした、ビール大好きガッキーこと板垣です。

この会社では入社時にあだ名を拝命するということでドキドキしていたのですが、安定のあだ名でホッとしているところです。

前の会社ではエンジニア→ITコンサルタントのポジションに異動という、巷のSE的には順当なキャリアを積んでいったのですが、色々なプロジェクトを経験するうちに「エンジニアに戻りたいなー」と感じるようになっていました。

転職活動をしてもグッとくる会社に巡り合わず、うまくいかんなーと諦めていたところ、たまたま知人にエバーセンスを紹介してもらい、そのまま転職しました。人の縁ってすごいです。このブログでは、自分の原点や転職の経緯を思い返してみようと思います。

 

何かを作ることが普通だった幼少期〜大学生活

自分の趣味は少し幅広く、写真、楽器、料理、酒、DIYなどがあります。気になったものにはとりあえず手を出す性格なのですが、今ではこのあたりに落ち着いています。
そしてこの趣味たち、今考えてみるとほぼ父親の影響でした。

家具屋、かつ凝り性の父親は、家で足りないものや自分が食べたいものは大抵自分で作ってしまう傾向にありました。
スピーカーやアンプのラックを自作し、薪ストーブの土台にはコンクリートをネリネリしてレンガを積み(左官は自分ら兄弟が手伝わされた)、私が大学生活で一人暮らしを始める時には、かなり細かい注文を入れたテーブルを作ってもらいました。

そんな父親の背中を見て育ったおかげか、自分もDIYや料理など「なければ自分で作る」という感覚に幼少期から慣れ親しみ、楽しんでいたと思います。
今でも、欲しいサイズの家具が高かったり、いい形のものがなかったりすると、自分で作ったり、父親に作ってもらったりするくらいです。

ちなみに地元の旭川は、動物園だけでなく家具もクオリティが高いので、家具買い替えの際は是非「旭川家具」で検索を。


棚と壁の木は自分で、スピーカーは父親が作りました

モノづくり好き、かつ興味本位で色々と手を出したくなる自分は、高校の時なんとなく入った軽音部で、音を作る、ということの奥深さと自由さにすっかりハマってしまいました。

大学卒業までに、ギター、ベース、ドラム、カホン、PA、レコーディングなどなど経験し、バンドと機材代を稼ぐためのバイトに明け暮れる学生生活を過ごしていました。
大学に行く時間≒部室に行く時間になるくらいサークルに時間を費やし、学校祭で出演する曲を1日4曲ペースで覚えていこうとしてたのは、ちょっとやりすぎな気もします。この世代の典型的ダメ大学生って感じがします。

余談ですが、PA(Public Address)とは、コンサートやライブで全体の音を調整している人のことです。
この役割の人は全ての楽器、マイク、スピーカーの音量や音質、そしてそれが観客にどう聴こえるかを調整しなくてはならないです。
全体を見ながら指示を出してライブの音を作っていく…これはビジネスの現場でもある=就職活動でも使える。なんて思って、面接ではこの経験をかなり押していきました。

 

就職活動〜前職

そんなバンドマンな大学生でも、音楽で食っていけない才能がないのはわかっていたので就職活動をしなくてはいけない、と思い、大学3年生あたりから真面目に将来の仕事を考え始めました。

就活するにも、とりあえず気持ちの足場を固めねばと、その時に大きく以下の2つの軸を設定しました。

  • モノづくりに関わる仕事がしたい
  • 海外に関われるような仕事がしたい

このあたりにチャンスがある会社だと、幸せかなーと思っていました。

モノづくりに関わる仕事がしたい

これはいうまでもなく幼少期から形成された「モノづくり楽しい精神」によるものです。

センスの有る無しはさておき、ひとりで黙々と何かを作っているのも、仲間と作り上げていくのも、自分の中で一番気分が高揚する時間です。
これは昔から変わらず、「やってて楽しい」と思えることは大事にしたいなぁと思ったので、仕事においても重きを置こうと考えていました。

海外に関われるような仕事がしたい

これも幼少期の人格形成の賜物、という気がします。父親の仕事の関係で、幼い頃に外国人と交流のあった自分は、ぼんやりと「海外と関われたらなぁ」なんて考えていました。具体的にどの国とどんな風に交流をしたい、というのはなく、漠然と憧れみたいな感じです。

実はこのときまで海外には行ったことがなかったので、1年休学して資金をため、東南アジアに行ってみたりしていました。
一度外の世界に出てみて日本人以外と生活をしてみると、より海外を相手に仕事がしたい、と思うようになり、海外にいけそうな会社を意識するようになっていました。

前職の話

そんな思いで就職活動を始めたところ、戦略から開発まで自社でやっているITコンサルファームが目に止まりました。外資系だったため、モノづくり+海外という自分のニーズを完璧に満たしており、この一社を本命に頑張り、無事入社までこぎつけました。

入社後は順調に、開発を経験した後、海外プロジェクトを経験したいという希望を聞き入れてもらい、色々な国と関われる所属に移りました。海外出張が増えるころにはエンジニアではなく、ITコンサルタントとして働いていました。ITコンサルタントはざっくりいうと、開発をするのではなく、既存のシステムや開発するシステムの方針を決めて、お客さんの会社に導入していく、という仕事です。

巷でよく言われるエンジニアのキャリアとして、プログラマー⇨システムエンジニア(SE)⇨ITコンサルタント、というキャリアパス(諸説あります)があります。このくくりでいくと、まさに順当にキャリアをのし上がっているように見えていました。

 

何かをもやもやっと感じて転職を決める


東南アジア放浪中のタイにて

順当にキャリアを進めていたはずでしたが、ハードワークやお客さんとの対応に疲れ始めた20歳後半あたりから、「自分がやりたかったことってなんだっけ?今働いてみて、実際どんな感じなんだっけ?将来もこの仕事続けていけるんだっけ?」と、今の自分の気持ちや原動力について振り返るようになりました。

そうして振り返ってみると、いくつか気づいてきたことがありました。

  • 海外を相手に働く、と言っても、結局外国人でも人は人だし、英語は単なるツールでしかなく、そこまでワクワクしなくなってきた
  • 海外出張は腰がつらい
  • モノ作っていた時の自分が一番伸びたと思うし、楽しかったし、またやりたいと思っている
  • なんだかんだ家族も大事にしていきたい、などなど...

上記に加え、無理に営業利益を追いかけるのではなく、自分が出しているサービスや自分の生活をもっとより良くしたい、という思いも膨らみ、転職の方向が定まりつつありました。

そして始めた転職活動では、モノづくりの中でも、一応IT畑で働いていたということと、IT分野はやっぱり好きということもあり、エンジニアとして再起できる会社を探しました。
その時は既に、ほんとは3年でやめようと思っていた会社に5年も居座っていました。粘ったせいで、キャリアチェンジをしようとしても、転職市場的にも自分の足取り的にもちょっと重くなっていました。

転職活動はあまり上手くいかず、いただけるオファーはITコンサルのポジションや海外べったりな部門ばかり。そういうキャリアを進んできていたのでしょうがないのですが、仕事が忙しくなってきたのもあり、半ば諦めかけていました。

そんな折に、自分の部署に転職してきた人に「こんな理由で転職したいんですよね」と話していたところ、「そんな考えにマッチするところ、あるよ!」と紹介してもらったのがエバーセンスでした。

代表の牧野さんやCTOの西山さんと話してみて、プロダクトや働きかた、自分の家族をなおざりにしてまでするグロースには意味がないという姿勢が、まさに自分がふんわりと考えていた人間的な素敵な会社だな、と思いました。

ぜひ話を聞いてみたい、と思って連絡を取ってもらった後は、面談をいくつかしてスルっと入社が決まりました。他に受ける予定もなかったので、そのままジョインを決めました。

 

入社から1ヶ月経った感想

入社前と入社後の違和感は全く感じておらず、入社すぐ全員分のカレー作りをしたり、ほんとにアットホームだなと日々感じています。

自分との認識ギャップがあるとすれば、実年齢より10個くらい年上に見られていたことくらいです。カジノで入場止められるマンの自分としては、これは初めて。ヒゲを剃ったので、これからは年相応に見られると信じています。

仕事にしても、いつもフォローアップまでしっかりしてくれて、技術的に足りないところだらけの自分をしっかり支えてくれています。いつもありがとうございます。

30手前でキャリアチェンジし、これから業務で独り立ちするところから始めるのは「ちょっと遅いスタートだな」という不安も完全に無いわけではないのですが、
この会社なら自分がやると決めたことをやり切れると信じて、これから頑張っていこうと思います。

ちょっとでもエバーセンスの話を聞いてみたいなぁと思ったときはこちらからぜひ連絡を。